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国史跡「下寺尾官衙遺跡群」

文化財
7世紀末頃、下寺尾の小丘に相模国高座郡の役所(高座郡衙)が置かれました。また、同じころ群家の南西には寺院(七堂伽藍跡)も建立されていました。近くの小出川には津(船着場)が設けられ物資移送が行われていたほか、小出川や、南を流れる駒寄川では水辺の祭祀が行われていたことが明らかになりました。これらは地方官衙の景観をなしていたと考えられ、その多くが現在もなお地中に残されていることから、平成27年(2015)3月に国の史跡に指定されました。

高座郡家:平成14年(2002)、神奈川県立茅ヶ崎北陵高校グラウンドで多数の大型掘立柱建物群が発見されました。南で発見された四面廂を有す大型建物は、回廊状に掘立柱建物に囲まれた政庁施設と考えられています。また、4ヶ所で確認された北側の総柱の建物は高床の正倉群と考えられています。さらにその間には掘立柱建物が見つかり、宿舎的な役割をもつものと考えられています。こうした建物群の発見などから、当地が古代の相模国8郡の内、高座郡の群家跡と判断されることになりました。群家が営まれた時期は7世紀末から9世紀前半と考えられています。この地点は相模原台地の南西端の一画に位置し、西に突き出た標高12~13mほどの低位台地の平坦面にあり、小出川をはさんで寒川が一望でき、遠く平塚の景色をも望めたと想定されます。高座郡衙が発見された低位台地一帯は西方遺跡として知られていますが、縄文時代、弥生時代にも多くの人々が活動していたことが判明しています。とくに、弥生時代中期の環濠集落は南関東でも有数の大きさ(面積)をもつことが予測されており、鉄斧の出土は石器時代から鉄器時代への移り変わりを示すものとして重要です。今後、この時期の解明も大いに期待されます。

七堂伽藍跡(下寺尾廃寺):高座郡家が見つかった南西側、台地下の民家の脇に「七堂伽藍跡」と刻まれた3m余りの石碑(昭和32年:1957)が建っています。寺域と推定される辺りは、小出丘陵の西先端部南面で、碑の周辺から相模線にかけての一帯です。小和田の上生寺に伝わる『上生寺略縁起』や『新編相模国風土記稿』小和田村の項などに七堂伽藍の伝承があり、そこでは寺の名を「海円院」とし、上生寺の前身としています。昭和53年(1978)に行われた発掘調査の結果、瓦破片・土師器・灯明皿などの出土品から古代寺院跡と分かりました。さらに平成12年(2000)から茅ヶ崎市教育委員会により確認調査が毎年進められてきました。長年にわたる地道な調査により、この寺院は7世紀末から9世紀後半以降にも及ぶことが確認され、約78m四方を区画塀に囲まれた伽藍域には瓦葺の屋根をもつ礎石建ち建物と3×7間の四面に廂をもつ大型掘立柱建物が並ぶことが明らかになりました。金堂や講堂をもつ寺院と考えることができます。

津と祭祀場:七堂伽藍跡の西側を流れる小出川の改修工事に伴う発掘調査により、さまざまな古代遺構群が発見され、津と考えられる遺構が確認されたことは非常に注目されます。川の利用こそが寺院や郡衙の地として選ばれた大きな理由の一つであると考えられるからです。また、津の調査や旧駒寄川河道の調査により、水辺を利用した祭祀が行われていたことが、人形や絵馬など数々の祭祀遺物の出土から明らかとなりました。
住所
KanagawaChigasaki City下寺尾
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